熱的純粋量子状態

統計力学の教科書には、有限温度の物理量(例えば、内部エネルギーや比熱など)は、ボルツマン重みに従って物理量の平均をとる、いわゆるアンサンブル平均を行うことで求めることができると書いてあります。このアンサンブル平均を実行するために、考えている系に対して、全固有値・全固有ベクトルを求める必要があるために、計算コストは基底状態計算に比べて大きく、実用的な計算を行うのはほとんど不可能でした。

ところが、近年の量子統計力学の研究の進展によって、有限温度の物理量が、原理的にはたった一つの波動関数の期待値として計算できることが示されました。アンサンブル平均が、一つの代表的な波動関数に置き換えられることが可能ではないかというアイディアの歴史は古く、1986年に今田-高橋によってすでに指摘されており、いくつかの論文[J.Jaklic and P.Prelovsek PRB 1994A. Hams and H. de Raedt PRE 2000, S.Lloyd 1988]で独立に再発見またはその証明がなされています。

杉浦-清水は2012年の論文で、有限温度の物理量が一つの波動関数で置き換えられることの証明を行い、その熱的純粋量子状態の簡便な構成方法を示しました。そして、その波動関数を熱的純粋量子状態(thermal pure quantum state)と名付けました。この手法はHΦに実装されており、完全対角化を行うことなく、広汎な量子格子模型の有限温度計算が行えるように整備してあります。HΦを用いた、熱的純粋量子状態の最近の計算例としてはフラストレートしたハバード模型の有限温度物理量の解析を行った論文があります。

経路積分モンテカルロ法

虚時間経路積分表示にもとづき、d次元の量子多体系をd+1次元の古典系として表現した上でマルコフ連鎖モンテカルロ計算を実行するシミュレーション手法。世界線モンテカルロ法とも呼ばれる。古典系では粒子の位置やスピン配位からそのボルツマン重みが簡単に計算できるが、量子系では演算子の非可換性のため厳密な計算には指数関数的に大きなコストが生じる。そこで、経路積分モンテカルロ法では、鈴木-Trotter分解や高温展開などを用いて虚時間軸を導入し、一次元だけ次元の高い古典系として表現する。経路積分モンテカルロ法は、横磁場イジング模型、量子ハイゼンベルグ模型、ハバード模型などの強相関量子格子模型や、He4ボーズ粒子系など、様々な系に対して用いられている。経路積分モンテカルロ法は原理的にはどのような量子系に対しても適用可能である。しかし、競合する相互作用を持つハイゼンベルグ模型やフェルミオン系では、古典系として表現したときの重みに負のものが現れ、大きな系や低温において平均値が収束しなくなる事態が生じる。この問題は負符号問題と呼ばれ、量子モンテカルロ法を量子多体系に適用する上で最も大きな障害となっている。

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量子モンテカルロ法

量子多体系のシミュレーションに用いられるモンテカルロ法の総称。虚時間時間経路積分表示にもとづき、d次元の量子多体系をd+1次元の古典系として表現した上でマルコフ連鎖モンテカルロ計算を実行する経路積分モンテカルロ法や、虚時間発展を古典の拡散方程式と見直すことにより基底状態波動関数をサンプリングする拡散モンテカルロ法、変分波動関数に対するエネルギーの期待値をマルコフ連鎖モンテカルロ法により評価することで最適化を行う変分モンテカルロ法など、様々なタイプの量子モンテカルロ法が存在する。

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非平衡グリーン関数法

物性物理の理論計算でよく用いられる方法の一つが、場の理論をベースとするグリーン関数法の一つである。通常は、基底状態を取り扱うのに有効な絶対零度に対するグリーン関数法や、熱平衡状態を取り扱うのに有効な温度グリーン関数法などがよく用いられる。しかし、熱平衡状態からある程度離れた状態(非平衡状態)を記述するためには、定式化を大きく変更する必要がある。

非平衡グリーン関数法は、系の非平衡状態を記述する密度行列の時間発展方程式に着目し、順方向の時間発展と逆方向の時間発展の2つの時間経路を組み合わせた特別な時間経路(ケルデッシュ経路)を考察することにより、種々のグリーン関数を定式化する方法である。これにより非平衡状態を通常の熱平衡グリーン関数とほぼ同じファインマン図形の方法によって定式化することができる。この定式化では、状態密度の情報を担う遅延グリーン関数・先進グリーン関数と、分布関数の情報を担うLesserグリーン関数が、独立な関数として定式化される。

この手法は、物質に電極をとりつけて直流電圧を加えたときの輸送特性を議論するときに有効である。ナノ構造に対する半無限電極の影響を自己エネルギーとして取り込んで計算した種々のグリーン関数から、非平衡状態の電子密度やコンダクタンスの情報を得ることができる。この計算手法は、OpenMX, Siestaなどの第一原理計算ソフトウェアで実装されている。